朝、猫たちがリビングで大暴れ。
「おまえら、ほんまに三者三様やなぁ」と、ぼんやりコーヒーすすりながら思う。
キジトラのぼんじりは、朝イチでキャットタワーのてっぺんに陣取る“努力家”。
茶トラのやげんは、ごはんの匂いに一直線で、“とにかく食いしん坊”。
白猫のてばは、誰かのあとをのんびりついてまわる“マイペース”型。
猫の世界でも“特性”ってめっちゃはっきりしてるんやな…と、思わず笑ってしまう。
「自分の特性って、わかってるつもりやけど?」
大人になって、ある程度“自分ってこういう人間”やと分かってる気になるけど、
実際ほんまに把握してるんかな?
音声教材で「自分の特性を把握せよ」と聞いて、ハッとした。
人間って意外と「自分のことは自分が一番わかってる」って思いがちやけど、
“思い込み”で止まってたりする。
「もし自分の“トリセツ”を書けって言われたら…?」
自分が猫やったとして、
「ぼんじりは窓辺に日が射すと10分以内に寝る」
「やげんは新しいフードを一粒混ぜるだけでテンション爆上げ」
「てばは知らない人が来ると冷蔵庫の上で固まる」
…みたいに、人間も「こうされたらうれしい」「ここは苦手」「こういう時だけ本気出る」って、
実はけっこう複雑や。
自分の“トリセツ”、もし誰かに渡すとしたらどこまで書けるやろ?
どんな時にやる気が出て、どんな条件なら続くのか、
猫たちみたいにシンプルにはいかんかもやけど、
一度真剣に自分自身に質問してみるの、大事やなと感じた。
【つづらのトリセツ失敗談】
正直、ぼくは昔から「自分の取扱説明書」なんて意識したこともなかった。
“なんとなく人と合わせとけばいいやろ”“我慢してれば、まあうまくいく”
そんな風に思い込んで、しんどい仕事も無理して続けたことがある。
でも結果、心も体もヘトヘトになって、「ほんまは何がしんどいのか」「何が苦手で何が楽しいのか」
――自分で自分のことがわからなくなって、余計に消耗する悪循環。
猫たちが「今日はもうだるいから寝とこ」って素直に振る舞うのが、
実は一番のヒントやったんかもしれん。
自分の「本音」や「クセ」を無視して、外側に合わせてばかりやった自分、
今思えばだいぶ不器用やったなと思う。
でも、思いきって「自分が何を苦手で、何が好きで、どう扱ってもらうとラクか」
紙に書き出してみたら――
「これ、自分のトリセツやん」ってちょっと笑ってしまった。
それからは、“無理なこと”は最初から避けて、
“ハマること”は自分にご褒美を用意して、と工夫するようになった。
すると、日々がちょっとだけ“自分らしく”なったし、
猫たちみたいに気ままに、でも案外毎日が楽しくなってきた。
「継続できない=ダメ?」
猫も“ずっと同じおもちゃで遊ぶ”やつはおらん。
うちのやげんなんか、新しい遊び場には食いつくけど、三日も経てばスン…てなってる。
でも、それが“悪い”んやなくて、自分の性質に合わせて変えていけばええって話。
「飽きやすいなら、環境や仕組みで自分をごまかしてでも続ける」
「誰かと一緒やったら頑張れる」
「逆に、ひとりの方が集中できる」
――どれも“正解”やん。
「自分の“クセ”を理解して、活かす」
ぼくは昔から「毎日同じこと続ける」のが実は苦手やった。
でも、猫の世話やブログは「気分で書く」「たまにサボる」「ときどき新しいルールにしてみる」
…そうやって自分のクセを認めてから、逆に続くようになった。
「みんな違って、みんなええ」ってよく言うけど、
猫見てるとほんまにそのとおりやと思う。
今日のまとめ
「自分のこと、ほんまに分かってる?」
自分を“勇者”やと思い込んでるけど、実は“魔法使い”かもしれへん。
どっちがええとかやなくて、自分がどんなタイプかちゃんと見つめて、
“自分なりの必勝パターン”を知るのが大事。
たまには、猫の寝顔見ながら、
「自分トリセツ、書き直してみるか」って考えてみるのもアリやと思うで。
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