都会で働いていたころ、ぼくはずっと何かに削られていた。
仕事そのものもしんどい。
人も多い。
移動も疲れる。
そして何より、普通に暮らしているだけでお金が減っていく。
家賃、食費、交通費、コンビニ、外食。
別にぜいたくをしているつもりはない。
ブランド品を買い漁っていたわけでもないし、毎晩高級焼肉を食べていたわけでもない。
ただ、働いて、食べて、移動して、寝る。
それだけで毎月けっこうなお金が消えていく。
首都圏にいると、それが当たり前になってしまう。
「まあ、都会はこんなものだよな」
そう思って、自分を納得させてしまう。
でも、高知に戻ってきてから、ふと思った。
もしかして、都会で消耗し続けることだけが人生じゃないのでは。
実家に戻れる環境があるなら、それを使って生活を立て直すのも、かなり現実的な選択肢なのでは。
今回は、首都圏で働いていたぼくが高知に戻って感じた、田舎暮らしの生活コストと精神的な楽さについて書いてみる。
これは「田舎最高、都会は全部ダメ」という話ではない。
田舎にも不便はある。
車社会だし、仕事の選択肢は都会より少ない。
遊ぶ場所も限られる。
それでも、もし今、都会の高い生活コストと高負荷な仕事に削られている人がいるなら、地方や実家に戻るという選択肢は、もっと真面目に考えていいと思う。
少なくともぼくは、高知に戻ってかなり呼吸がしやすくなった。
首都圏時代は、普通に生きているだけでお金が消えた
まず、首都圏時代の生活費をざっくり振り返ってみる。
もちろん人によって条件は違う。
住んでいる場所、家族構成、働き方、車の有無、外食の頻度によって生活費は大きく変わる。
なので、これはあくまでぼく個人の体感と実例として見てほしい。
ぼくの場合、首都圏時代のざっくりした生活コストはこんな感じだった。
| 項目 | 首都圏時代 | 高知・田舎暮らし |
|---|---|---|
| 家賃 | 約55,000円 | 0円/格安 |
| 食費 | 約60,000円 | ほぼ0円 ※実家の食事にかなり頼っている |
| 交通費 | 約18,000円 | ほぼ0円 ※出歩く頻度が少ない |
| 外食・コンビニ | 1食1,500円前後 | 1食700円前後 |
| 精神的な圧 | 高い | かなり低い |
こうして見ると、一番大きいのはやっぱり家賃だ。
毎月55,000円。
年間にすると66万円。
これは大きい。
しかも家賃というのは、こちらの気分に関係なく毎月必ず出ていく。
体調が悪くても出ていく。
仕事がつらくても出ていく。
会社を辞めたいと思っても、家賃があるから簡単には止まれない。
この「毎月必ず削られる固定費」が、都会暮らしではかなり重い。
さらに食費。
首都圏で暮らしていると、ちょっと外で食べるだけで1,000円を超えることが珍しくない。
ラーメン、定食、コンビニ飯。
そこに飲み物を足したり、少しおかずを追加したりすると、あっという間に1食1,500円くらいになる。
毎日きっちり自炊できる人なら違うかもしれない。
でも、仕事で疲れて帰ってきて、そこから毎日きれいに自炊するのは、なかなか大変だ。
気づけばコンビニ。
気づけば外食。
気づけば財布が薄くなっている。
財布だけならまだいい。
心も薄くなっていく。
これは地味に効く。
高知に戻って、一番変わったのは「家賃がない」という安心感
高知に戻って、生活コストの感覚はかなり変わった。
特に大きいのは、実家に戻れたこと。
家賃が0円、あるいは格安になる。
これはもう、生活再建においてかなり大きい。
もちろん、実家に戻ることには人それぞれ事情がある。
親との関係が悪い人もいる。
家に居場所がない人もいる。
家庭の事情で戻れない人もいる。
だから、誰にでも簡単にすすめられる話ではない。
ただ、親との関係がそこまで悪くなく、実家に戻れる環境があるなら、それを使うのは恥ではないと思う。
きれいな言い方をすれば、家族の生活インフラを一時的に使わせてもらうということ。
正直な言い方をすれば、かなり甘えている。
ぼく自身も、そこは否定しない。
でも、都会で家賃と生活費に削られ続けて、心身がすり減っていくくらいなら、一度実家に戻って生活を立て直すのは、かなり現実的な選択肢だと思う。
「実家に戻るなんて負けだ」
そう感じる人もいるかもしれない。
ぼくも、まったくそう思わなかったと言えば嘘になる。
いい年をして実家に戻ることに、多少の気まずさはある。
親に頼っている感じもある。
近所の目も、気にならないと言えば嘘になる。
でも、生活というのは見栄だけでは続かない。
毎月の固定費は待ってくれない。
心の余裕も、無限に湧いてくるわけではない。
ならば、一度コストを下げる。
呼吸できる場所まで下がる。
そこから立て直す。
これは逃げではなく、戦略だと思う。
食費もかなり変わった。実家の食事は強い
高知に戻ってから、食費もかなり変わった。
ぼくの場合、実家の食事にかなり頼っている。
これはもう、正直に書くしかない。
首都圏時代は食費が月6万円くらいかかっていた。
もちろん外食やコンビニも含めての金額だ。
一方、高知に戻ってからは、実家の食事に頼れる場面が増えたので、自分で払う食費はかなり少なくなった。
ここは人によって大きく違うと思う。
一人暮らしで地方に移住するなら、当然食費はかかる。
地方だからといって、食材が全部半額になるわけではない。
スーパーの商品も、ものによっては都会とそこまで変わらない。
ただ、実家に戻れる場合は話が違う。
家に米がある。
味噌汁がある。
作り置きがある。
誰かが作ったごはんがある。
これがどれだけ強いか。
首都圏で一人暮らしをしていると、「今日何を食べるか」を毎日自分で決めないといけない。
これが地味に疲れる。
買うか、作るか、外で食べるか。
お金もかかるし、判断力も使う。
仕事で疲れていると、夕飯を考えるだけでもう一仕事だ。
でも実家だと、そこがかなり軽くなる。
もちろん、そのぶん親に負担をかけている面はある。
そこは感謝しないといけない。
家事を手伝うとか、買い物に行くとか、できる範囲で返していく必要もある。
ただ、生活を立て直すという意味では、実家の食事は本当に大きい。
お金だけではなく、判断の負担も減る。
これが精神的にかなり効く。
外食やスーパー弁当も、都会よりずっと軽く感じる

高知に戻って感じたのは、外食やスーパーの弁当の価格感がかなり違うということだ。
たとえば、ある日のお昼にラーメンを2杯食べて1,300円だったことがある。
お酢ラーメンとショウガラーメン。どちらも650円。
ラーメンを2杯食べて1,300円。
これ、都心の感覚だとかなり安い。
首都圏だと、ラーメン一杯で1,000円を超えることも珍しくない。
そこに大盛りやトッピングを足せば、あっという間に1,300円、1,500円になる。
でも高知では、店によっては2杯食べてもそのくらいで収まることがある。
もちろん、すべての店が安いわけではない。
高知にも高い店はある。
おしゃれなカフェもあるし、いいものを食べればそれなりにお金はかかる。
ただ、日常の食事に関しては、都会よりもかなり軽く感じる場面が多い。
スーパーの弁当や惣菜もそうだ。
写真を撮りたくなるくらい安い弁当がある。
「これでこの値段なのか」と思うことがある。
首都圏でコンビニ飯を買うと、弁当、飲み物、ちょっとしたおかずで1,000円近くいくこともある。
でも地方のスーパーだと、かなり安く済むことがある。
この差は、毎日積み重なると大きい。
1食あたり数百円の差でも、月にすれば何千円、何万円になる。
そしてお金以上に、「今日はこれでいいか」と思える食事のハードルが下がる。
これも生活の楽さにつながる。
「地方なら生活費は6割」は少し言い過ぎかもしれない。でも体感はかなり近い
ここで注意しておきたいのは、「地方なら生活費は都会の6割で済む」と単純には言い切れないことだ。
物価全体が6割になるわけではない。
スーパーの商品も、全国チェーンのものはそこまで大きく変わらない。
電気代や通信費も、地域で劇的に安くなるわけではない。
車が必要な地域なら、車の維持費もかかる。
ガソリン代、保険、車検、税金。
これらを考えると、地方暮らしが必ず安いとは言えない。
ただ、ぼく個人の体感としては、実家に戻ったことで生活コストはかなり下がった。
首都圏時代に重かった家賃が消えた。
食費も実家に頼れるようになった。
出歩く頻度も減って、交通費もかなり下がった。
外食やコンビニに使うお金も減った。
こうなると、生活全体のコストはかなり軽くなる。
ぼくの場合、体感としては首都圏時代の6割くらい、あるいはそれ以下に感じる場面もある。
ただし、これは「地方だから」というより、「地方+実家+出費を減らす生活」の組み合わせが大きい。
ここを間違えると、田舎暮らしを過大評価してしまう。
地方に移住して、一人暮らしをして、車を持って、毎日外食して、仕事の収入が下がれば、むしろ苦しくなることもあると思う。
だから大事なのは、田舎に行けば自動的に楽になるという話ではない。
固定費を下げられる環境があるか。
実家や親族の家に頼れるか。
生活スタイルを変えられるか。
都会の見栄や消費から距離を置けるか。
ここがかなり重要だと思う。
氷河期世代は、もっと実家を使っていいのではと思った
ぼくはいわゆる氷河期世代だ。
この世代には、独特のしんどさがあると思う。
若いころには「会社に入って、まじめに働けばなんとかなる」という空気がまだ残っていた。
でも実際には、時代は大きく変わっていた。
安定した会社員ルートに乗れた人もいれば、うまく乗れなかった人もいる。
非正規、転職、低賃金、長時間労働。
いろんな形で消耗してきた人がいる。
それなのに、自己責任という言葉だけはやたら強かった。
「努力が足りない」
「選ばなければ仕事はある」
「いい年なんだから自立しろ」
そういう言葉を浴びてきた人も多いと思う。
もちろん、自分で責任を持つことは大事だ。
でも、時代の影響をまったく無視して、全部を個人の努力不足にするのは、かなり雑だと思う。
そして最近、ぼくはこう思うようになった。
親との関係が悪くなく、実家に戻れるなら、氷河期世代こそもっと実家を使ってもいいのではないか。
親世代は、今の若い世代よりも比較的安定した時代を生きてきた人が多い。
もちろん全員が豊かだったわけではない。
苦労してきた人もたくさんいる。
それでも、家を持っている親世代は少なくない。
もしそこに戻れるなら、それはかなり大きな資源だ。
「いい年をして親に頼るなんて」と思う人もいるかもしれない。
でも、都会で高い家賃を払い続けて、心身をすり減らして、再起不能になるくらいなら、一度親元に戻って生活を立て直すほうが、よほど現実的だと思う。
もちろん、親に頼るなら感謝は必要だ。
家事もする。
お金を入れられるなら入れる。
迷惑をかけっぱなしにしない。
ただ、「実家に戻る=負け」と決めつける必要はない。
今の時代、使える資源は使っていい。
生活を立て直すことは、恥ではない。
田舎暮らしは楽だけど、万能ではない
ここまで田舎暮らしの良さを書いてきたけれど、もちろんデメリットもある。
まず、仕事の選択肢は都会より少ない。
高知で仕事を探そうとすると、首都圏ほど選択肢は多くない。
給料も都会より低いことが多い。
自分のスキルを活かせる仕事がすぐ見つかるとは限らない。
次に、車社会。
ぼくの場合はあまり出歩かないので交通費はかなり下がっているけれど、普通に生活するなら車が必要になる場面は多い。
車を持てば、ガソリン代、保険、車検、税金がかかる。
地方暮らしのコストを考えるとき、車代はかなり重要だ。
さらに、人間関係の距離が近い。
都会のように、誰にも干渉されずに暮らす感覚とは少し違う。
地域によっては、近所づきあいがある。
親戚づきあいもある。
実家に戻れば、親との距離も近くなる。
これが合う人もいれば、しんどい人もいる。
そして、刺激は少ない。
イベント、店、仕事、人の流れ。
都会に比べると、地方はどうしてもゆっくりしている。
それを落ち着くと感じるか、退屈と感じるかは人による。
だから、田舎暮らしは万能ではない。
都会でうまくいかない人が、地方に行けばすべて解決するわけではない。
ただ、生活コストと精神的な圧を下げる場所としては、かなり強い選択肢になり得る。
田舎暮らしに向いている人、向いていない人
ぼくなりに、田舎暮らしや実家出戻りに向いている人を考えてみた。
向いているのは、まず固定費を下げたい人。
家賃が重い。
生活費が高い。
働いても働いてもお金が残らない。
そういう人にとって、家賃を下げることはかなり大きい。
次に、都会の刺激よりも、生活の安定を優先したい人。
毎日新しい店に行きたい。
人と会いたい。
イベントに行きたい。
そういう人には田舎は物足りないかもしれない。
でも、静かに暮らしたい。
一度休みたい。
生活を整えたい。
そういう人には向いていると思う。
あとは、在宅でできる仕事や個人事業を考えている人。
地方で生活コストを下げながら、自分の仕事を作っていく。
これはかなり現実的なルートだと思う。
もちろん簡単ではない。
でも、都会で高い家賃を払いながら挑戦するより、固定費を下げた状態で挑戦するほうが、精神的な余裕はかなり違う。
一方で、田舎暮らしに向いていない人もいる。
車がないと生活できない地域で、車の運転が苦手な人。
親との関係がかなり悪い人。
地方の人間関係が苦手な人。
都会の仕事や人脈が収入に直結している人。
こういう人は、無理に田舎へ戻ると別のストレスが増えるかもしれない。
だから、田舎暮らしは「誰にでもおすすめ」ではない。
でも、「選択肢として持っておく価値」はある。
特に、都会で限界まで削られている人にとっては、一度考えてみる価値があると思う。
実家に戻るのは、人生の敗北ではない
ぼくは、高知に戻ってから思った。
実家に戻るのは、人生の敗北ではない。
少なくとも、ぼくはそう思うようになった。
もちろん、気まずさはある。
親に頼っているという感覚もある。
自分は何をやっているんだろうと思う日もある。
でも、首都圏で高い家賃と生活費に削られ続けていたころより、今のほうがずっと呼吸しやすい。
生活の圧が下がった。
お金の減るスピードが落ちた。
心の余白が少し戻った。
これは大きい。
人生を立て直すには、まず固定費を下げることが大事だと思う。
精神論だけではどうにもならない。
「がんばればなんとかなる」と言われても、毎月の家賃はなくならない。
「前向きに生きよう」と思っても、財布の残高が減っていくと心は削られる。
だから、まずは現実的に支出を下げる。
生活のサイズを小さくする。
そのうえで、次の仕事や収入源を考える。
ぼくは今、その途中にいる。
高知に戻ったから人生が全部解決したわけではない。
お金の不安が完全になくなったわけでもない。
将来への焦りもある。
でも、首都圏で消耗し続けていたころより、ずっと動きやすくなった。
これは間違いない。
都会で消耗しているなら、一度「下がる」ことを考えてもいい
都会で働いていると、上がることばかり求められる。
もっと稼ぐ。
もっと出世する。
もっといい部屋に住む。
もっといい店に行く。
もっといい服を着る。
もっといい人脈を作る。
そういう空気がある。
もちろん、それが楽しい人はそれでいい。
都会で勝負したい人は、都会にいたほうがいい。
でも、全員がそのゲームに向いているわけではない。
ぼくは、少なくとも今は、そのゲームから少し降りた。
首都圏から高知に戻った。
家賃を下げた。
食費を下げた。
移動を減らした。
生活のサイズを小さくした。
そして思った。
下がることは、負けではない。
むしろ、下がったことで見えるものがある。
固定費が下がると、心の中に少し余白ができる。
その余白で、次のことを考えられる。
働き方を変える。
小さく事業を始める。
ブログを書く。
健康を整える。
親との時間を持つ。
都会で削られているときには見えなかったものが、少し見えるようになる。
田舎暮らしは、夢の楽園ではない。
でも、生活を立て直すための避難所にはなり得る。
実家に戻ることも、地方に移ることも、恥ではない。
今の場所で消耗し続けるくらいなら、一度生活コストを下げて、自分を守る選択をしてもいい。
人生は、常に前へ走るだけではない。
ときには、荷物を下ろす場所が必要だ。
ぼくにとって高知の田舎暮らしは、その場所だった。
都会で消耗している人に、田舎暮らしを無責任にすすめるつもりはない。
でも、もし実家に戻れるなら。
もし地方に居場所があるなら。
もし今の生活コストに押しつぶされそうなら。
一度、その選択肢を真面目に考えてみてもいいと思う。
実家に戻るのは負けじゃない。
生活を立て直すための、かなり現実的な一手だ。

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