村人Aを無視して、猫みたいに生きてみる

音声教材アウトプット

朝、窓際でぼんじり・やげん・てばの三匹とまったりしていると、どうしようもなく「これやなぁ」と思う。
大したことはしてない。ただ、カーテンのすきまから差し込む光の中で、ぼんじりは堂々とあくびをし、やげんは毛づくろいに余念がなく、てばはちょっと離れた場所で何かと格闘している。
その空気を味わいながら、ぼくはミネラルウォーター片手に「今日も特別なことは起こらんのやろな」なんて考えてしまう。

けど、ふとSNSを開いたり、街を歩いたりすると、「あれをしろ、これをしろ」とか「そんなんじゃダメ」とか、やたらと“村人A”の声が大きく聞こえてくる。
ゲームでよく出てくるやつや。ずっと同じ場所で、同じセリフを繰り返す村人A。
「あんた、冒険なんかせずに地道に暮らしなさい」「そんな夢みたいなこと言って…」
現実世界にも、意外とたくさんおる。

ぼく自身も、気がつけば“普通”に紛れてしまってる。
仕事で成果を出せば出すほど、「やりすぎやで」と言われることもあるし、「目立つと損やぞ」なんてアドバイスももらう。
本当はもっと自由にやりたいのに、なんとなく無難なほうに流されてしまう。
そんな時、ある音声を聴いて「はっ」となった。

──成功する人は、全体の3%。
残りの97%は、“普通の人”か、もしくは“村人A”なんやって。
100人いたら、たった3人だけが「自分の人生を生きる側」。
他の97人は「そんなの無理やって」「やめとき」って言う側。

ここで考えた。「ぼくはどっちの村で生きたいんやろ?」
みんなと同じ方が安心や。悪目立ちもせえへんし、失敗しても責められん。
けど、たった一度の人生やのに、ほんまにそれでええんか?

猫たちは、まさに“3%側”で生きてる。
ぼんじりはぼんじりらしく、誰に媚びることもない。
やげんはやげんで自分の美しさに誇りを持ってるし、てばはてばで毎日新しい遊びを発明している。
彼らは誰の許可もいらない。今日やりたいことを今日やる。それがどんなに変でも、本人(猫)たちはご機嫌や。

なのに、人間のぼくは、誰に言われたわけでもない“空気”に、勝手にブレーキかけてることが多い。
「いい歳して猫に本気で話しかけてるなんて」「健康マニアって変わり者やな」「そんなに水ばっか飲んで何が楽しいん」
そんな声がどこかから聞こえてくる気がする。

でも――。

「やっぱり3%の側で生きてみたい」と思った。
猫たちみたいに、自分の“やりたい”に素直でいたい。
村人Aの「やめとき」よりも、自分の“こうしたい”を大事にしたい。
たとえ変だと笑われても、「ぼくはこれで楽しいんや」と胸張って言えるようになりたい。

思えば、村人Aを無視する勇気って、最初はめちゃくちゃ怖い。
でも、本気でやってみたら案外「何も起きない」ことが多い。
それどころか、猫たちは毎日“ご機嫌”で、ぼくもそのそばにいられるだけで十分幸せやったりする。

もし今、村人Aの声にモヤモヤしてるなら、
いっぺん無視して“3%の村”に顔出してみてもええんちゃうやろか。
本気で自分の人生を生きる人たちと一緒に、好きなことに時間を使う。
そういう人たちと過ごす時間が増えると、不思議と「自分もいけるかも」って思えるもんや。

今日は猫たちを眺めながら、そんなことを考えた。
ぼくも、もっと猫みたいに自由でいこう。

あなたは、どっちの村にいたいですか?

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