今日も猫は元気そうだ。
ぼくの財布は元気じゃないけど。
借金があるくせに、健康にはこだわってる。
まるで逆方向に全力ダッシュしてるみたいだけど、
これが意外と、ぼくにとっては「唯一の自分を守る手段」だったりする。
コンビニ弁当?
たしかに便利。うまそうに見えるし、実際にうまい。
でも、あれは「超加工食品」ってやつだ。
加工に加工を重ねて、保存しても腐らず、色も味も完璧に整った食品のフリをした工業製品。
なにが入ってるかって? 表示されてる添加物だけじゃない。
加工助剤ってやつがあって、これは表示義務がないから、ぼくたちは知らずに口に入れてる。
たとえば、ツヤ出しや防腐目的のプロピレングリコール。
日本じゃOK。でも、猫にとっては猛毒。
うちの猫には絶対食わせられない。
でも自分には食わせてる? って思ったら、箸が止まった。
外食? それもダメ。
安い定食屋や学食、下手したら使われてるのは“古米”か“古古米”だ。
最近、小泉農水大臣が「備蓄米の放出」を決定したってニュースを見た。
政府が抱えてる古古米を、安価に市場に出して、飲食店や学校給食で消費させるって流れ。
「備蓄米の有効活用」って言葉はきれいだけど、
実質「だいぶ前の米を、それと気づかせずに食べさせてる」ってことだ。
古米は味も香りも落ちる。
だから、見た目をごまかすために使うのが、またしても精米改良剤。
これも表示義務がない。つまり、知らぬ間に“ごまかされた米”を食べてるかもしれない。
しかもそれが猫に有害な物質を含んでるときたら──もう、信用できない。
ぼくの師匠は言ってた。
「自然から離れるほど、人は健康から遠ざかる」
──これは医学の父と言われるヒポクラテスの言葉らしい。
紀元前のギリシャ人が言ってたことが、いまの日本に刺さるってすごいよね。
農薬についてもそう。
師匠はさらにこう言った。
「農薬で守られた野菜は、本来なら淘汰されるはずの“落第組”だ」
つまり、自然界じゃ生き残れない弱い種を、薬で延命して、
その“無理やり生きてる野菜”を人間が食べるという構図。
それって本当に健康なのか?
そう問われたとき、ぼくは言葉に詰まった。
そこからだ。
ぼくの「盲目的自然派生活」が始まったのは。
無農薬の野菜。
できるだけ農薬を減らした米。
加工助剤を使ってなさそうな精米。(新米に精米改良剤は使わないそう)
信頼できる店でしか買わない調味料。
猫が食べても安心な素材。
そして、毎日3リットルのミネラルウォーター。
結果、エンゲル係数が爆上がり。
収入よりも食費のほうが高い月だってある。
でも、怖いんだ。
「健康が崩れたとき、残るのは借金と病気だけ」って未来が。
だから、ぼくは“食べ物の内容”だけは絶対に手を抜かない。
どんなに金がなくても。
うちの猫たちは、ぼくが出した餌を一瞬で見抜く。
添加物が多いフードだと、においをかいだだけでそっぽを向く。
彼らは正直だ。彼らの舌は本能で判断してる。
「これは自然か、そうじゃないか」を。
たぶん、ぼくよりも賢い。
ある日、猫と一緒に台所で過ごしていたら、
味噌汁を温めているぼくの横で、彼は静かに丸くなった。
「なあ、おまえはさ。添加物の味、わかるの?」
「どの米が精米改良剤入りか、見分けられる?」
「もしかして、ぼくより“健康に対してストイック”なんじゃないか?」
そう話しかけても、もちろん猫は返事をしない。
でも、その姿勢はこう言ってるように思えた。
「自然なものだけ食っとけ。命を長く保ちたいなら」
そんなわけで今日もぼくは、
借金に目をそらしつつ、
高い野菜を炒め、
精米改良剤の心配をしながら米をとぎ、
3万円分のミネラルウォーターを飲む。
通帳にはもうすぐ3桁しか残らないけど、
身体の調子は、なぜかすごくいい。
師匠はこうも言っていた。
「健康とは、未来の自分への貯金だ」
たしかに、今のぼくは“現金”よりも“元気”を持ってる。
……でもそろそろ、どっちか選ばなきゃいけないかもしれない。
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